わたくし事

2011.07.22更新

“牛乳”と”リポD” そして”高尾山”…。

ボクが、牛乳配達していたころ、

 

配達先に、一人暮らしのおばあちゃんがいました…。
 

都内の古い都営アパートに住むおばあちゃんで、

その地域への配達は、週3回、火・木・土曜日の一日おき。

 


小さなビンの牛乳(200ml)を、毎日1本ずつ飲めるよう、

 

配達のたび、2本ずつ(土曜日だけ3本)届けていました。

 


ある日の早朝、

 

そのおばあちゃんの家へ牛乳の配達に行った時のこと…。

いつものとおり、

 

ドアの横に置かれた牛乳受け(プラスチックの箱)から

 

空ビンを回収し、新しい牛乳を入れようとしたところ、

 

突然、目の前のドアが開きました。

 

で、中から、ちっちゃなおばあちゃんが出てきました。

 

おばあちゃんと会うのは、その時が初めてでした。

「おはようございます。

 

いつも早くからご苦労様ねぇ~。早起き、大変でしょう?」


「いえいえ、慣れましたから…(笑)」

 

「これ、リポビタン、良かったらどうぞ。」

よく冷えた“リポビタンD”を1本頂きました。

 

 

牛乳を配達して、“リポD”をもらうなんて、

 

飲み物の物々交換のようで、なんか変な感じ~

 

っと思ったこと、今でも覚えています。


それからというもの、

 

ボクが、牛乳ビンを抱えてそのおばあちゃん家の前に着くと、

 

いつもタイミング良く、ドアが開きました(笑)

“リポD”は、その後、みかんになったり、お菓子になったり、

 

パンになったり、ピザになったり、ケーキになったりしました。

配達時間に余裕がある時は、

 

おばあちゃんのお家に上がって、コーヒーを頂いたりもしました。

 

ただ、なんせ配達中です(笑)

 

あまりゆっくりしている時間はありません。

でも、いつしか、そのおばあちゃんへの配達は、一番最後、

 

他のお客さんへの配達を全部終わらせてから、最後の1件として、

 

向かうようになりました。 

そうしたら、少しでも、ゆっくり話ができるから。

結局、

 

それから、リポDは、“朝ご飯”に変わりました。

火・木・土の配達のたび、

 

最後の配達先の、そのおばあちゃんの家で、

 

毎回、朝ご飯を頂いていました。

約2年、ずっとです。 

 

おばあちゃんとは、色々な話をしました。

ご主人を早くに亡くされたこと。

 

都内に住む一人息子さんが、かなかな家に寄りつかないこと。

 

来ても、すぐに帰っちゃうこと。

 

でも、それは、息子さんが結婚したことによって、

 

仕方がないことだって考えていること。

 

その息子さんの奥さんが活発なこと、

 

お孫さんの一人は海外にいて、一人が専門学校に合格したこと。

 

病弱な妹さんのこと、なかなか結婚しない太った姪っ子さんのこと。

 

氷川きよしのファンクラブに入っていること。

 

氷川きよしのコンサートに行ったこと。

 

でも、恥ずかしくて近所の人には言えないこと。

 

高尾山が好きで、年に何回かお参りに行くこと。

あらゆる話を聞かせてくれました。

ボク、間違いなく、自分のおばあちゃんでさえ、

 

そんなにたくさんの話しをしたことはありません。

ある日、

 

ボクが、司法書士の受験勉強を始めたことを伝えました。

「ごめんね。

 

配達が終わったら、勉強せんといけんから、

 

あんまりゆっくり出来なくなっちゃった…。」

それからというもの、 朝ご飯は、“お弁当”に変わりました。

 

「朝ご飯を食べる時間がないんだったら、

 

勉強の途中に食べればいいじゃない。

そのおばあちゃんは、いつもいつも待っていてくれました。

 

「早起き大変でしょう…。」

 

「暑くて大変でしょう…。」

 

「寒くて大変でしょう…。」

 

 

雨の日には、玄関先にタオルが用意してありました。

 

暑い日には、冷たいお茶が用意してありました。

 

寒い日には、朝早くから、部屋を温かくして待っていてくれました。

 

 

ボクのことを、

 

「おにいちゃん、おにいちゃん」と呼んで、

 

いつもいつも気遣ってくれました。

 

いつもいつも応援してくれました。

その後、ボクが、牛乳配達を止める時、

 

一番気掛かりは、そのおばあちゃんのことでした。

なかなか言い出せませんでした。

辞める直前は、行く度、行く度、カウントダウンしていました。

 

「うちに来るのも、あと何回で終わりだね…。」って。

 

 

でも、でも、ボクのこれから先の仕事のこと、

 

やっぱり、応援してくれました。

絶対的に…。

 

無条件で…。

 

 

 

 

そのおばあちゃんとは、

 

それからもずっと連絡を取ってます。

一日おきに会うことは出来なくなりましたが、

 

今でも年に2、3回は、お家に遊びに行っています。

 

 

おばあちゃんが大好きな高尾山、

 

ふたりで、10回くらいは行きました。

一度だけ、おばあちゃんの一人息子さんと一緒に、

 

3人で行ったことがあります。

「母親が大変お世話になっております。

 

いつも口を開けば、“おにいちゃん、おにんちゃん”です…(笑)

 

本当にありがとうございます。」



ご自身でお仕事をされていることもあり、

 

「不規則なもので、なかなか時間が…。」

 

お母さんのこと、とても心配されていました。

予想どうり、

 

息子さんも、とってもいい方でした。

 

 

思い返せば、あの時、急にドアが開いてから、

 

もうかれこれ10年近くになります。

 

東京タワー、浅草、根津神社のつつじ祭り、

 

他にも、これまで、いろんなところへ一緒に行きました。

 

 

 

そのおばあちゃん、口癖があります。

 

「片づけないと…。

 

片づけないと…。」

 

です。

 

 

整理整頓のことではありません…。

 

「私なんて、いつ死ぬか分からんでしょう。

 

だから、死んだときに、息子に迷惑は掛けれんからねぇ。」

 

と。

 

いつも笑いながら、口にしています。

口癖、もうひとつあります。

 

「人生の最後で、

 

おにいちゃんみたいな人に出会えるなんて、

 

私は、世界一の幸せもの。


こんな幸せな人間は他にはおらん。

 

感謝せんと罰があたる…。」

この言葉、

 

言われたボクが凄いんではないと思います。

そんな言葉を言える、

 

その、おばあちゃんが凄いんだと思います。

これまで、何度も、何度も、言ってもらいまいした。

ボクがここにいる。

 

それだけで、世界一の幸せを感じてくれる人が、そこにいる。

どんだけ心強いことか…。

 

 

 

ボクが、牛乳配達を辞めた後、

 

しばらくして、おばあちゃんは、牛乳の注文を辞めました。

実は、おばあちゃん、

 

“牛乳””が好きではなかったのです。

「やっぱり、お腹が痛くなっちゃって…。

 

辞めちゃって、ごめんね…。」

 

ボクの事務所の冷蔵庫の中には、

 

いつも必ず、“リポビタンD”が入っています。

 

「元気にしてる?

 

“リポビタン”まだ、ある?

 

なくなったら言いなさいね。送るからね。

 

ん?取りに来る(笑)?」

ありがとう。

ありがとう。

 

ありがとう。

 

 

 

この前の連休の時、

 

久しぶりにおばあちゃんのお家に遊びに行きました。

おばあちゃんの耳、少しだけ遠くなっていました。

悔しい思い、

 

もどかしい思いを感じました。

 


テーブルの片隅に、

 

おばあちゃんが書いたメモがありました。

 

「おにいちゃんが来たら、扇風機を出してもらう」

 

って書いてありました…。

そのメモを見つけたボクに、おばあちゃんは、

 

「悪いねぇ~。悪いねぇ~。

 

せっかく来てくれたのに、頼み事して悪いねぇ~」


って…。

「そんなこと…。

 

悪くなんかないよ…。」

扇風機は、きちんと箱に片づけられて、

 

押し入れの上の段にしまってありました。

その扇風機を出しながら、

 

なんだか、ボク、情けなくて…。

 

 

きっと、おばあちゃんが、

 

このブログを読むことはないと思います。

だから、きちんと伝えなくちゃって思いました。

 

 

 

牛乳配達してよかったです。

 

芝居をしてよかったです。

 

東京に来てよかったです。

ボク、よかったです。

 

ここにいて…。

 

「あなたのような方と出会えたこと、

 

ボクも、本当に幸せものだと思います。

 

 

いつもいつも応援してくれて本当にありがとう。

 

どんなに感謝しても、感謝しつくせません。

 

 

あなたの“おにいちゃん”でいられること、

 

ボクは誇りに思っています。」

 

高尾山、また、一緒に行こうね!!

投稿者: ナチュラル司法書士事務所

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